声枯れを克服できそうかも知れないかも
もともと、声楽の歌い方で歌うと秒で声が枯れていました。
子供の頃〜大学在学中は、先生が声に合った曲を選んでくださっていたこともあり、声枯れは経験したことがありませんでした。
声枯れが目立つようになったのは大学を卒業してからで、ガッチガチにオペラアリアを歌うようになり、アクートをバンバン使うようになったころ。45分間の個人レッスンに声帯が耐えられなくなってきました。
特にきっかけになったなと思うのは、イタリアにレッスンを受けに行ったとき、オーケストラの指揮者の先生に、「声が小さいからオーケストラにかき消される」と言われたこと。
それまで自分の声が小さいとは思ったことがなかったけど、そう言われてみれば、たしかに小さい。本場の先生にそう言われちゃうと、でっかい声出さなきゃって思っちゃう。
それで楽器に見合わない大きな声を出そうとして、声帯に盛大に負荷をかけて歌っていました。
声が枯れてもアクートは出せるけど、中低音で声帯が合わなくなるので、何も歌えなくなる。
だけどなんとかごまかしながら歌ってきました…。
自分の先生には声を重く作りすぎているってずっと言われてたけど、声が小さいことが私の弱点だと信じていたし、自分的に納得いく音色をつくるためには、そうするしかできませんでした。
我々ソプラノ歌手はフォルマント同調を使ってオーケストラにも負けないボリュームの歌声を飛ばすらしいので、そもそもの声量より響かせ方が重要。声が小さいと言われ、そのままの意味に捉えてデカイ声だそうとしてたのも浅はかだったし、大事なのは声量じゃなくて響きだ!ナタリーデセイだって生で近くで聴いたら声が小さかった!っていろーーーんな先生方に言われ続けていたのに、今思えばなんで頑なに声を重くしていたんだろうと疑問ですが…
私がそれを改善しようと思ったのは本当に最近のことです…。
カヴァレリアルスティカーナはガッチガチのヴェリズモオペラで、合唱を歌うにしても重たいなーと感じます。稽古が始まった当初は、合唱で稽古に参加している人数が少なかったのもあって、一度通して歌うだけで最後の方は声が枯れていました。帰り道は出演者の方と同じ電車になっても声が出ないから喋れなかった(笑)
それで、4月の頭くらいに歌ってなくても声が枯れてる日が数日続きました。
健康が取り柄だけど、声無しで稽古に参加させてもらう日があって、これはやばいかもと思ってやっと、やっと、声をもっと軽くしなくてはと本気で思いました。
軽くするって、散々今まで渋ってきたくせに、そんなに複雑なことではありません。ただ単に、デカい声をだそうという気持ちをぐっと堪えて、無理せずラクに歌うことにトライしただけです。
この気持ちを堪えるってのが難しいんだけどね。
軽く歌うようにしたら、合唱を歌うぶんには、なーーーんにも問題なく、むしろ声がしっかり馴染んで、歌いやすくなりました。もちろん声も枯れなくなりました。
でもソロではどうでしょうか。
6月にある演奏会に向けて、《ナクソス島のアリアドネ》のツェルビネッタのアリアを勉強しています。
昨日はレッスンがあって、朝9時から発声して9時半からピアニストと合わせをして、その後1時間以上レッスンしていただきました。ツェルビネッタはアクートまみれの大曲なので、いままでだったらそんなに歌ったらもう喋ることもできなくなっていたでしょう(笑)
しかしそれが、軽く歌うようにしてみたら、なんと、耐えられました!!!!!
それで演奏が物足りなくなったかと言えばそんなこともなく、先生には「声が大人になったね」と言っていただけました!
まだまだ課題は多いものの、毎回言われてた「もっと軽く」もクリアでき、自分が歌っている感覚も、余裕が出来て演奏にメリハリが付けられるし、ピアノの音もしっかり聴ける…!
私の大学時代の先生のレッスンでは、在学中の学生はプッチーニとトスティ歌うの禁止だったのですが、たしかに私のような輩が、楽器作りの段階で重い曲をやったら声帯をぶっ壊していただろうなと。先生の愛あるご指導に今更気がつく。本当に今まで教えてくださった先生方には感謝しかありません。
自分にとってよくない発声というのは分かってはいても、意外にも求める声を作るためにごくごく自然に自分の楽器に負荷をかけてしまうもの。
声帯って壊したらどんな大金をかけても新調できない楽器なので、大切にしましょうね。
という自戒の雑記でした。
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